5人いる!

5人がそれぞれに好き勝手にやるブログです。

アジア、結婚、競馬、短歌、底には更に底がある、という話

今週のお題「2016上半期」

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そもそもこのブログというヤツ、5人いる!ってタイトルなのに2人しかおらんやんけ!その2人もおらん!全然おらん!なんや叙述トリックか!!

…唐突に寂しさを覚えたので、最近印象的だったことについて書いてみようと思います。

 

そもそもタイトルなのですが、その仲間達の、自分が知る最後の近況な訳ですけども、一人は類い稀なる突進力とコミュニケーション能力で以てアジア一人旅・山に登ったり外国人の友人が出来たりしているらしく、一人は類い稀なる縁と美貌でイケイケの幼馴染みと幸せな結婚を果たし、一人は類い稀なるオタク心で短歌を詠み・読み続けて生活の糧とし、一人は類い稀なる鈍臭さでサラリーマンとして嫌々働き続け何故か競馬にドハマりするという酷く怖い字面の趣味を持ち、俺は、といえば、やるぞー、と言ってた会社で何年か働いたのち、もう良いんじゃないかなーって諦めて自営業したいなー、って言ったら両親に怒られるってところで話が止まっている状態なのですけれども、その

会社での話。

 

あるお客様から「何のために本を買うか」という話を聞いた時のこと。2月くらいだったか。

どんな本・漫画を読むのか、という話になった時に、そのお客様が仰られたラインナップが凶悪で、山野一安達哲蛭子能収山田花子丸尾末広早見純、とまぁー漫画ばかり出て来る上に、目を背けたくなる様な暗さを感じさせる漫画家さんばかり挙げられるんですよね。

・・・まぁ俺も大好きなラインなので話が非常に合ったんですけど。

で、なんでそんなイヤな気持ちになるようなものを読むか、ということなんですが、俺は「自分の中に無いものが見てみたい」という臆病者の恐いもの見たさ精神がグジリグジリと滲み出した結果で、お化け屋敷とか見世物小屋とか、そんな感じで「自分では作り出せないもの、想像の外側にあるものが見たい」というゲスい思考な訳です。それが如実に反映されるのが、人の意表を突いて恐怖させるホラーであったり、倫理観というルールを取っ払って展開される自由なグランギニョルであったり、会話と会話・文章と文章の偶発的な組み合わせから不定形を見出そうとするシュールであったり、なので、上記の漫画家の漫画の様なヤツを読むのです。

と思っていたら、そのお客様の観点は俺とは違って、

「人生にはものっすごい不幸な瞬間というものがあって、一旦そこにタイミングが上手くというか悪くハマってしまうと、想像も出来ないくらい普段の生活とは違う『底』に落ちていったのが自分の人生なのだけど、でもそこが『底』だと思っていたら、まだそこから落ちていく所があって、で、そこで止まったと思ったらまだ更に落ちていくところがあって、でまだその更に底があって、」

という話を語調を強めて語られるんです。冗談ではなく。俺には想像のつかない『底』。一度の会話で何度「底」って出て来るんだなんてバカバカしい突っ込みが出来ない本気さがあって、とても恐ろしかった。

「だから、お涙頂戴みたいな感動するような話は、もう全部嘘くさくて、全然読めない。誰かが作った残酷な話を読むことで、自分はまだ想像力の範囲内なんだ、まだ大丈夫なんだって思えるから、救われるような気持ちになるから、読みたいんです。」

と。どんな生活して来たんだよ。

 

自分の方向としては真逆な様な気もするのですが、でも、だから物語に触れるんだよなあと共感し、この一年のココに至るまでで一番印象的だった方。怖さもありました。が、このお客様との関わり合いで改めて「フィクション(物語)はどんな形であっても、必ず誰か(筆者含む)を救う手だてになる」という何となくの自分の思考が、明確化されたイベントでした。

 

その初回時の衝撃を機に、今でも仲良くさせて頂いてます。